当ページをご覧いただきありがとうございます。きのか特許事務所です。当事務所では、化学分野の特許戦略に関する知財情報を複数回にわたってお届けしています。

新しい発明を生み出した場合、企業としては、公開するか(主に特許出願により公開)、その発明を秘匿化するかを選択しなければなりません。

秘匿化を選択する場合には、その発明の漏洩を防止するために秘密管理を徹底する必要があります。さらに他社に後発的に特許化された場合に備えて、先使用権を主張する証拠を残していく必要があります。

そこで今回は化学分野の特許戦略というテーマで、特に「先使用権」についてお話します。

先使用権とは?

特許法79条(先使用による通常実施権)
特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出願に係る発明の内容を知らないでその発明をした者から知得して、特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者は、その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において、その特許出願に係る特許権について通常実施権を有する。

長く書いていますが、先使用権はざっくり言うと、「うちは前から使っていたんだから、後から出願された他社特許に縛られず、引き続き使わせてもらいますよ」という権利です。

先使用権は、ざっくり言うと、以下の要件を満たす必要があります。

  1. 自ら発明したこと
  2. 他社特許の出願の際に事業またはその事業の準備をしていたこと となります。

先使用権の注意点

この制度には、いくつかの注意点、いや、たくさんの注意点があります。

どのような状況にあれば「事業の準備」と言えるのか?

「事業の準備」とは、具体的に設備を発注している等のように、すぐに実施できる状態になっている事業化間近の段階にある必要があります。単に「将来、事業化を考えているレベル」とか「必要な設備導入のために銀行の借り入れを申し込んだ」というレベルでは不十分です。

一度事業を中断すると、先使用権はどうなるの?

先使用権は、当事者が放棄したと認められる場合には、消滅したものと判断される可能性があります。つまり一度事業を中断してしまうと、先使用権を主張できなくなる可能性があるため、注意してください。

改良、モデルチェンジ、他用途展開をした場合、先使用権が認められるのか?

「その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において」という部分の「範囲内」がどこまでなのか、という論点です。その物のスケールアップというだけなら構いませんが、良した組成物や他用途のための製造までは含まないとされています。このような場合、先使用に該当しなくなります。特に改良により作用効果が顕著に異なる場合は、先使用に該当しない場合が多いのでご注意ください。

先使用権の証明のためにすべきこと

先使用権の証明のためには、「その時点で、先使用していた」という客観的な証拠が必要です。先使用権を主張することになるのは、大抵、他社特許の出願から何年も経過した時。つまり、その発明がいつ存在したかという証拠を長期にわたって保存する必要があるのです。

では、どんな証拠が必要になるのでしょうか。

多くの裁判例では、研究開発の着手から事業の開始、継続までの一連の経緯についての証拠を検討されています。 例えば、研究開発時の実験報告書、新製品開発決定時の議事録、試作納品時の納品書、試作納品時のサンプル、カタログ、製品納入時の納品書が挙げられます。 つまり、研究開発から今までの確保可能な時点ごとに、その時点に証拠があったことを確実に残す必要があります。

証拠力の高い方法としては、公証役場で確定日付をもらう、電子公証を利用する、タイムスタンプサービスを利用することが挙げられます。こまめに証拠を残すとなると手間も費用もかかりますね。

化学分野特有の課題

化学分野の場合、数値限定発明やパラメータ特許として、自社の実施の範囲内で後発的に他社が特許をとれてしまう、という事態が起きやすいです。当初は想定していなかった特性やパラメータに着目した特許である場合、先使用権を主張するためには、当時のサンプルを引っ張り出して測定しなければならないこともあるでしょう。

そのために証拠としてサンプル自体を残す、ということが必要になります。

しかし、保存中に劣化する化学品の場合は注意です。前述のとおり、先使用権を主張することになるのは、対象特許の出願から何年も経過した時。先使用権を証明するために出願日までに製造した化学品を保存していたとしても、保存中に時間の経過とともに劣化している可能性があります。サンプル薬の水分含量が問題となった事件があります(ピタバスタチン製剤事件)が、この事件では、出願日までに製造したサンプル薬の水分含量が特許発明の範囲内にあったとは言えないとして、先使用権が否定されました。このように、保存中に劣化する化学品についての先使用権の主張は、厳しいものがあります。

先使用権に安易に頼るのは危険

このように、真面目に先使用権を確保しようと思うと、手間とお金がかかります。さらに先使用権が認められる要件はかなり厳しいため、実際に裁判になった場合に先使用権が認められる確証もありません。先使用権を検討する場合には、このようなリスクがあることを認識すべきです。

当事務所では、弁理士に加えて化学専門家がコンサルタントとして化学分野の知財活動支援を行っています。当事務所の知財活動支援についてご興味ある方はぜひお気軽にお問合せください。